Complete text -- "岡井耀毅『土門拳の格闘』"

23 November

岡井耀毅『土門拳の格闘』

 もうすぐ、岡井耀毅『土門拳の格闘』(成甲書房)を読了する。土門拳は、大学時代の友人が好きで、酒田にある土門拳美術館のことなどを話に聴いたり、『古寺巡礼』を車いす姿で撮影していたテレビ番組を見て、その執念深さに写真にのめり込むことの不思議さを思ったりした程度の知識であった。

 だから、この本で土門拳という写真家の一端を知ったと言っても過言ではない。写真という芸術は、現実をまるごと一瞬に切り取ることによって、人知を超えた表現力を持ち得るものであり、その一回性が永遠に再現できない価値を持ち、それだから芸術として一つの大きな領域を占め、人々を感動させる力を持ってきているものと思うのだ。報道写真にしても、その現場に居て、時間、空間を同時体験していて初めて成り立つものであり、ポートレイトにしてもそれは同じだろうと思う。
 土門拳は、写真のリアリズムと芸術性を追求したと、この本は述べている。リアリズムに関しては、木村伊兵衛とのリアリズムについての対談が面白かった。木村はシャッターを切るまでは写真家の個性の部分であり、シャッターを切った瞬間以降はメカニックな作業が残るだけと語った。それに対して、土門拳は写真を作るすべての行為が、その人の個性を反映するものであり、その結果、その人でなければ写せない写真が出来上がると語った。
 その両者の違いは、芸術としての写真への考えの違いではないかと思ったりする。つまり、物の本質までも写そうとすることで一つの美術作品として完成させようとする土門に対して、木村は出来上がった美術作品(現実を)を写し取る作業であるとしているのではないか。この違いは、大きいことだと思う。
 写真を取るのが好きな私は、とても興味深く読ませていただいた。時代はデジタルの時代である。私もデジカメで写すことが多い。仮想現実としての現実的世界を作り上げることがある程度可能となった今、写真のリアリズムは限りなく大きな意味を持つだろうと思うが、反対に芸術性はどのようなことになってしまうのか、気になる。これから、少し、写真に注意しようと思っている。


10:47:53 | tansin | | TrackBacks
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