Complete text -- "個人誌『風都市』第24号"

07 October

個人誌『風都市』第24号




 私は、ここしばらく美しいものを見たいと思わなくなっている。しかし、この世の中から逃げ出すわけにもゆかず、綺麗なものや美しいものは、できるかぎり時間の移ろいが、取り払ってくれればと願っている。

 美しいもの、綺麗なものとは、人間の感情や意思や考えに通じる。それすら、必要のないものと思っている。私がそんな気持ちで過ごしている時に、瀬崎祐氏の個人誌『風都市』第24号が届いた。

 瀬崎氏の詩2篇はとても美しい。アンビバレント名気持ちが湧いてきた。しかし、それは、私が願っていた、美醜をすべてを取り去った後の世界のように、ただただ何もない時間が流れている世界だった。前者の「美」と後者の「美」では、人を惑わす人掠いのような、感覚を麻痺させる「美しさ」と、その場に立ち尽くそうと必死になって自分を守とろうとする自立する「美しさ」と言う点で決定的に違っている。


 詩「水の時間・陰」は、重力を持たない言葉達が風のように流れてゆく。その流れに沿って時間が陰の余韻だけを残して過ぎ去ってゆく。そこに、仮面を被った物達は存在しない。どれも、本当の自分だけの物達である。だから、一瞬で言葉は消え、淡い感覚だけが残る。

 それが、読み手である自分自身だと、ちょっと時間をおいて気付かせてくれる。今の自分は、そういう他力な言葉に惹かれる。敢えて誤解を承知で書けば、「なつかしい」とは、自分自身である。この詩を読んでいると、「なつかしい」と思っている自分の輪郭がすぱっと見えてくる。それは自分自身、つまり鏡に映った自分、「陰」であるのかもしれない。全文を引用させていただく。


   物売りの声を背にして岬をまわり
   戻ってきた家は静かだった
   風が旅程をかるくしている


   おとずれる人も遠くなる
   いくつもの部屋をぬけて妻の部屋にはいると
   文机のうえには
   青い書きおきが残されていた
   さきにかえります さようなら


   窓という窓は開けはなたれ
   みどりの葉に日射しがすきとおる


   わたしのかえる場所がなつかしい
   部屋の片隅に
   まだつかわれていない薄ものの寝具が
   きちんとたたまれている


              詩「水の時間・陰」全文




12:06:05 | tansin | | TrackBacks
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