Complete text -- "大谷卓史『アウト・オブ・コントロール』"

29 June

大谷卓史『アウト・オブ・コントロール』


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 副題が「ネットにおける情報共有・セキュウリィ・匿名性」と書かれている。ファイル共有ソフトでるウィニーの開発者が逮捕された事件の問題の本質を明らかにしながら、インターネットにおけるセキュリティの問題や著作権の問題に思考を広げ、さらにはインターネットの世界にだけに限らない、人間社会において匿名性を持つことの意義を語る。
 人間が識別されることと、人間が何がしかの役割を演じることとを切り離すことはできない。匿名性を持つことは、社会との関係をある面で断絶する意思を持つことであるが、人間である以上どこまで行っても他者との関係を絶つことはできない。それならば、生物的な関係がなく、情報という目に見えない複雑雑多で多量な関係から成り立つインターネットの世界で、そう簡単には識別できない自分という存在を隠すことに可能性を見い出したいと思うことは必然かも知れない。

 人間が持ってしまった役割は、正しいことばかりが求められるわけではない。本人が正しいことと思っていても、他人から見れば誤ったことであることになることもある。ならば、そういうしがらみから開放されて、より自由な自分の意思で行動することの方がましかもしれない。

 卑近なことで言えば、一人旅に出たいと思う時がある。家族や仕事などから解放され、日常の役割を演じらる必要のことに対する憧れを持つことがある。この欲求は、社会性を持つ人間の根源的なものなのだろう。インターネットの世界ではそれが可能になるように、つい思ってしまう自分がいる。

 最近、コールドプレイの『美しき命』を聴いている。今、自分が聴きたいと思う唯一のロック・ミュージックだ。賛美歌のような美しいメロディー、その中から聴こえてくる人類の素の鼓動とも言える声、U2よりも素朴なところが良くて、美しい。

10:25:53 | tansin | | TrackBacks
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