Complete text -- "ACT vol.305"

03 February

ACT vol.305



 仙台演劇研究会通信『ACT』vol.305 2008年1月号における詩人竹内英典氏の連載エッセイ【book・stand】での【今月の1冊】S・ミルグラム著、岸田秀訳『服従の心理ーアイヒマンの実験』(河出書房新社刊)を読んで、考え込んでしまった。

 それは、エッセイの最後に書かれた竹内氏の問いに対する答えを自分なりに考えてみたものの、思考するきっかけすら見い出せないでいるからだ。

 竹内氏の問いは、「ところで我々が現に生きている社会もまた善悪を問わず規範なしには成立しないし、その規範を維持するために良かれ悪しかれケには存在せざるを得ない。そのような中で自立した言葉をもつとはどのようなことなのだろうか。」というものである。

 ミシェル・フーコーの権力に対する思索とも重ね合わせることができるこの問いは、とても刺激的なものです。自分が最近読んだ本、柏倉康夫著『アンリ・カルティエ・ブレッソン伝』で、著者のグローバリゼーションに関する問いに対して写真家アンリ・カルテイェ・ブレッソンは、「われわれは生きている世界を、個人個人のおかれた立場を、たえず問い直さなければなりません。」と語り、「私はアナーキストです。」と断言した。そして、「アナーキーと自由とのちがいは、自由は精神的立場で、アナーキーは行動あるということです。」と語っている。

 ここに考えのヒントがあると、漠然と思っている。

 引用ばかりになってしまったが、人は自立した言葉を持つためには、精神的に自由であるばかりではなく、行動することを、実践することを考えなければならないだろう。いや、考える前に行動することなのだが・・・
13:32:47 | tansin | | TrackBacks
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