Complete text -- "梅田望夫「ウェブ進化論 〜本当の大変化はこれから始まる〜」"

14 April

梅田望夫「ウェブ進化論 〜本当の大変化はこれから始まる〜」


 だいぶ前に,梅田望夫「ウェブ進化論 〜本当の大変化はこれから始まる〜」を読んだ。次のよう整理をしながら読み,そして考え続けた。
 一人の人間の小さな力で、世界規模で状況に変化を与え,物事を動かすことは普通に考えれば難しいことである。もし,それを実現するとしたら,多くの人々が信用するに足りる大な資力と組織が必要になる。それを、金銭をほとんどかけず、また何千人、何万人という組織をも持たずに、簡単に成し遂げることを可能とするシステムの構築がインターネットの世界では現実化している。そして、それは、「世界的な規模で動かす」という視点だけではなく、人間が感じとっている世界そのものを、「違う次元の価値観に変えて」ゆこうとする試みとも言える。これまでと全く違った価値観で整理し直された世界は、それを信じる者の存在を前提として、安く、早く、大量に、あらゆる目的を達成することができる、魔法のような制御装置が機能する現実空間となる。

 以上が、私が梅田望夫『ウェブ進化論』を読んでのおおざっぱな内容の理解である。1億の人間がそれぞれに持っている人生の時間のほんの1秒を出し合えば、1億秒、つまり約3年分の時間を作り出せることができる。1秒、1秒は一瞬で消え去る儚い時間であるが、ネットを使えばこの淡雪のような存在を、瞬時に有効な力に変換できる可能性が生じる。例えばそれは、1億人の意志として表明し、あるプロジェクトを動かす力になることもできる。そして、このような夢のシステムが現実的に可能となるためには、多くの人々を惹きつける魅力的な商品若しくはサービスが必要だろうし、それらと人々を結びつける有機的なネットワーク装置ができあがっていなければならない。
 ここまではある程度,自分なりに理解ができたのであるが、その次に、でも本当にそれでいいのだろうか、そんな簡単なものなのだろうか、という疑問が生じてきた。
 まず、情報がネットを通じて伝わるということは、当然なことであるが、情報がデジタル化されているということであり、そのことは情報を簡単にコピーしたり加工したりすることができるということを意味する。一人一人の情報は、均一なデジタル信号となり、その時点で情報の発信元となる人間の個性はなくなる。逆に言えば、その時点で個人の情報は特殊性をなくし、開放される。この、開放を許すという過程がないと、情報は力を有しない。ここで、大事なことは、弱い立場、つまり受け身になるということである。許すという行為は、自分が相手の要求を受け入れるということである。本当に人間は、そんなことを黙って受け入れるのだろうか。それが、私の疑問である。
 大量な情報に中では、一つ一つの意志がその存在を主張することは限りなく不可能なことである。その結果、全体が意志を表明し、一つ一つ情報の主張(意志と言い換えてもよい)は無視される。それは、見えなくなるのではなくて、均一化され、無視されるということである。ここから先は、すべてデジタル情報として処理される。個体認識もデジタル化される。それが、新しい価値観で整理し直された世界だとすれば、人間はいくらでもコピーされ、再生される。そして、簡単に管理される。それが、これからの「大変化」の方向であれば、信頼を拒絶する意志が人間を証明する内的証拠となり、人間が人間であること、自分が自分であることがますます困難な時代に突入していくことになる。必然的に人は際限のない闇の中で孤独となる。自分の存在でしか,生きているということを確認できない世界に入り込んでしまう。それは絶え間なく,生を消費続けるか,死を確認し続けてゆかなければならない,再生を拒むシステムとなって,仮想の世界とも現実の世界とも見分けることができない日常を生み出す。梅田望男が語る「大変化」は,他人事ではない。

09:16:06 | tansin | | TrackBacks
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