Complete text -- "詩誌『霧笛』第2期第36号"

23 December

詩誌『霧笛』第2期第36号



 詩誌『霧笛』第2期第36号が届きました。今号は,震災の特集号ということのようです。どうして震災から4年を経過した、「今」、東日本大震災に特化した作品を特集するのか。その必要性はどこにあるのか。そして、その差し迫った理由について納得させるものがあるのか。余計なことなのですが、その二つがとても気になりました。




 この疑念と言っても良い私の困惑は、編集担当の千田基嗣氏が、「21号以降はすべて被災地における震災以降の詩となっているわけで、あえて、特集と銘を打つ必要があるかとの思いもあった」と編集後記に書かれているとおり、震災後に発行されている詩誌『霧笛』は,すべて震災と切っても切り離せないいわば<特集号>みたいなものでしょうと私もずっと思っていたので、今回の「特集号」という言葉は、不意を突かれた思いでした。

 そう、「今」、どうして震災の特集号とあえてしなければならないのか。

 「しかし、時がたち、自らの経過として直接には震災と関わらない作品が増えてきてはいた。震災という未曽有の経験のあとではあり、一見そうとは見えなくても、どこか深いところでその体験は作用しているはずであるとしても、4年半を経過した現時点で、特集とする意義はあるのかもしれない。・・・(中略)・・・単に「震災特集と」というのは少し違う。記憶という言葉を付け加えて「震災の記憶特集」としてみた。もういちど、顧みて記憶として捉えかえしてみる、というように」(千田基嗣氏の編集後記)。繰り返しますが、単なる特集号ではなく、「記憶」という言葉を付け加えたとしても、前述の二つのことがどうしても気になりました。

 気になった二つのうち、前者については、明快な答えが導き出されるような気がします。それは,同人の方々が,震災のことを書き,掲載して,詩誌『霧笛』第36号を特集号とする必要性を、「今」、抱いたからだということだろうと思います。そこに、何の疑念もないのではないかと思いますし,そこに理由付けは必要が無いということです。

 後者については、少々、思うところがあります。震災特集は、震災のことを振り返ってただ単に作品を書けばそれで良いのかということです。そうではないはずです。私は,気仙沼という震災の最も被害の大きかった被災地の一つである街に,多くの同人が生き延びて住んでいることだけで、もう十分に発する言葉、それ自体が震災特集号にふさわしいものだと考えていました。気仙沼に住んでいない同人がいても、気仙沼から出ている詩誌に作品が納められていること、その事実だけで十分(つまり,震災特集にふさわしい作品)ではないかと思うのです。そこを、あえて意識して特集とする意味合いがどこにあるのか、ということです。

 震災から年月が過ぎるに従って(震災の)記憶の風化への懸念が叫ばれているようです。じゃあ、その問題提起に対して<詩>はどんな解決の可能性を提示すことができるのか。ということを、「特集」という言葉が付いてしまうと、つい考えてしまいます。今回の号が、もしそのことを意識したものであるとしたら、それは少々、私が詩誌『霧笛』にこれまで感じてきた魅力とは違った方向のことだろうと思います。しかし、千田氏の編集後記に書かれているとおり、単に(純粋に)「記憶として捉えかえす」ということであれば、さほど読むことをためらう理由にはならないなと思いました。それは、誰でもが日常的に記憶を振り返り、今を捉える作業の中で生活しており、その中からまた新しい言葉が生まれてくると言って良いはずです。それは、なんら特別な行為ではないです。

 以上が,今号の詩誌『霧笛』を読むに当たっての私の、ちょっと理屈っぽい問題意識です。

   被災地は
   まだ眠っている

        (中略)

   おはよう!
   行ってきます!
   気をつけていけよ!
   ごはんだよ!

   たくさんの暮らしの声が
   出番を待って
   夏草の中に隠れているようだ

   夏草が時を包み込み
   人々の心を癒やし
   やさしく背中を押している

             詩「夏草」部分

 西城健一氏の作品です。中略の三連には、被災地の現状が描かれています。例えば、冒頭の「被災地」という言葉を「気仙沼」という言葉に置き換えても、私にはなんの違和感もありません。さらに言えば、別な町の名をそこに置いても違和感はないと思います。そう、なんら特別なことではないのです。

 つまり、特集号とは、震災が詩誌『霧笛』にとっては、なんら特別なことではないということを特集したものではないかと私は思うのです。そういう意識で読むことが、書かれた言葉達に対して失礼のない接し方ではないかと、かなり捻くれた考えですが思うのです。

 幾つかの作品に「あの日」、「あの時」という言葉が出てきます。

   僕らの
   記憶の深い森を辿っていけば
   あの日のあの記憶へ立ち戻ることもできるだろう

   でも
   あの日この世から消え去っていった者たちは
   僕らをいつまでも包んでいる

             千田遊人「淡い未来の曙光」最初の二連


   あの日
   バスが開通した日
   降りる人みんなが
   運転手さんに
   「ありがとう」「ありがとう」

        (中略)

   そんな中でも
   あの日の 感謝の気持ちを
   忘れずに
   バスを 降りるたび
   思い出します

             畠山幸「あの日の気持ち」最初と最後の二連


   ここは本当に日本なのか?
   
   潮臭く ヘドロが乾燥してほこりっぽい

   仕事もできず 学校に行く事も出来ず

   人を探す事と必要最低限の物を買う

   そんな毎日が続き 不安と不満の中

   見えない未来を探していた

             小野寺せつえ「あの時」最初の5行

 ここでのあの日、あの時はまさしく東日本大震災の起きたときを示す言葉です。どんな小さなことでも、2011年3月11日に日常とは違う、突然やってきた抵抗できない暴力のような時間を過ごした人にとって、その言葉が指し示す情景や感情、行動は特別なものです。そして、一瞬で沢山の<出来事>を<記憶>を多くの人と共有できるものです。つまり、特別な言葉、大切な言葉なのだと思います。

 巻頭に照井由起子さんの作品「あの日の近く」が掲載されています。この表題の「あの日」は、どうも前の方々が書いた<あの日(時)>ではないようです。

   あれは十一年前の六月

   細胞のひとつ ひとつが清々しい風にのり

   やわらかな陽ざしに拡散し 浮遊した

   無心の時がどれほどだったか

   いや 時の長さではない

   心に 身体に一瞬でも 透明に浸された

   感覚の記憶を確かめる

             詩「あの日の近く」第二連

 最初、この作品を読んだとき、どうして11年前なのだろうかと考えました。しかし、この詩にはそれを示唆する言葉はありません。その年月を指し示す言葉に意味があるとすれば、それは2011年3月11日よりも遙か前のことであるということなのかなと思います。つまり、人が生きている限り、何が起きようとも記憶はずっと繋がっているということなのだと思います。それは、とりもなおさず<生きている>ということそのものです。生きている瞬間を感じることのできること、それは自分を肯定できること、ではないでしょうか。力強く自分を肯定できることは、とても勇気が必要であり、そしてとても素晴らしいことだと思います。そして、最も大切なことはそれが絶対的に自分だけの瞬間であるということです。照井さんの「あの日」は、照井さんだけの<あの日>なのだと思います。

 人間は独りです。独りだからこそ、他の人と出来事や気持ちや行動を共有できた時にそのすばらしさを感じることができるのだと思います。それは、誰にでも同じことです。なんら特別なことではないということです。だから、特別なのだと思います。



 
07:29:04 | tansin | | TrackBacks
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