Complete text -- "詩の降り注ぐ場所『コールサック』73号"

21 October

詩の降り注ぐ場所『コールサック』73号




 茨城の東海村に住む詩人であり写真家でもある武藤ゆかりさんは、東日本大震災後、一貫して地震の恐ろしさや放射能の恐怖を語り継いでいる。震災直後は、直接的に、比喩など使わず、ありのままに語り繋いだ叙事詩のような態様で言葉を紡いできたが、ここにきてあれから1年半が過ぎ、幾分、心臓の鼓動が落ち着いてきたようだ。そして、彼女の属している詩の団体コールサック社から出ている膨大な書物『コールサック』第73号が届いた。膨大と書いたのは、この分厚い雑誌に57人もの詩人が詩を載せている。そのほかに、詩人論、エッセイ、書評が数多く掲載されている。この量で年3回発行とは恐れ入った。商業雑誌ではなく、詩人による詩人のための詩表現に依った雑誌というとところだろうか、いわゆる詩壇的な集合体を形作らない姿勢は、『現代詩手帖』や『詩と思想』とは完全に一線を画する。


 で、武藤ゆかりさんは、この雑誌の写真担当で、表紙の写真(表紙画ではなく、ある詩人の肖像写真である)をこの第73号も担当している。彼女は、とても美しい詩と写真を組み合わせてた詩画集を幾冊か出版している。今号では、詩「六月の台風の後で」と「二回目の夏」の2作を発表している。

 私は、詩「六月の台風の後で」が好きだ。最初に触れたように、彼女は放射能の恐怖と日々戦っている。それを詩作品にしてきた。その表現が直接的から、今回は制作時で考えれば約1年は過ぎただろうか、そのこともあり、より内在化したさりげない言葉として現れてきている。それは、比喩でもなければ、喩え話でもない、彼女の生活の一部であり、あらゆるものに光が降り注ぐように、あらゆすものに影がすっと伸びるように、明確でないからこそ、囁くようような言葉だからこそ、崇高な表現や主張よりも説得力がある。僕達は、あれから、何かが変わったということが、ひしひしと痛切に伝わってくる詩である。彼女自身の存在そのものが、放射能の恐怖を語り出している。最初の一連と、途中は飛ばして、最後の二連を引用させていただく。

 台風の直撃を受けた後の里川は
 濁って水かさを増していた
 泥を削り草を薙ぎ倒して
 激しい流れを作っている
 あの日から降り続く核物質も
 野山のあらゆる窪みへと落ち
 川の一部となって下ってゆくのだろう

      (中略)

 ある時は岩盤が轟き渡り
 ある時は隕石が降り注ぎ
 ある時は恐竜が絶滅し
 ある時は愛犬が絶命し
 膨れ上がる恐ろしさを幾つも越えて
 川は流れてきたのだった

 私は愛している
 こんな言葉がふと浮かんだ
 私は愛している
 それは目的語が隠れているゆえに
 不思議と完全な文に思えた
 陽が沈み森が黒くなった
 私はお前の名前をまた呼んだ

            詩「六月の台風の後で」部分

 中略の部分に、台風一過のすがすがしさに違和を感じている自分の心を描いている。そして、その気持ちの揺らぎの中で、死んだであろう愛犬との散歩の日々が、懐かしく愛情豊かなボリュームで描かれている。「私は愛している / それは目的語が隠れているゆえに / 不思議と完全な文に思えた」とは、なんて逆説的な表現なのだろうか、この世界すべてを表したようなこの言葉の重みを痛切に感じる。
17:37:00 | tansin | | TrackBacks
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