Complete text -- " tab 第8号"

26 January

tab 第8号



 詩人長尾高弘氏から、彼が所属する詩誌『tab』第8号が送られてきました。
 長尾氏からは、昨年、ホッチキス留めコピー用紙による詩集『人類以外』、そして同じ製法による詩誌『tab』第7号が送られてきてました。今回の『tab』第8号も同じホッチキス留めよる詩誌です。
 冒頭、後藤美和子氏の「水源地」は、作品に(皆既食39号)と記載があるので、他の詩誌で発表されたものかもしれません。それはさておき、固有名詞を抽象化した使い方、かすかにすれ違ったような接点に意味を持たせる言葉遣いなど、とても美しい象徴的な作品です。想うことで、奥底に湛えられる水の源というイメージが沸いてきます。
 中間部分を引用させていただきます。

      (前半略)

   森の名
   片方の礎は湖に浸っている
   雨の日に
   水滴が輪をなして祝福する
   一度だけ触れ
   水の中に消えてゆく
   かもしかが通りすぎる

      (後半略)

             「水源地」部分

 長尾高弘氏は、詩「神輿」を発表しています。これを読んでまず思ったのは、町田康の小説『告白』です。主人公が殺したと思い込んでいる人間の死体が消えて、その死者の霊を畏れる設定を思い起こしたのです。この長尾氏の詩では、現代世界において、神が畏れを失い、その神聖さが、滑稽にも見える姿が読み取れます。長尾氏の詩集『頭の名前』(書肆山田)、詩集『人類以外』(私家版)の系譜とは趣を変えた作風ですが、ユーモラスを失わないところは、作者の真骨頂を示している作品だと思います。
 後半の15行を引用させていただきます。

      (略)

   母は神だったが、
   次第に老いていった。
   ある日死んだが、
   遺骸はなかった。
   次の日から、
   私たちのなかの一人が裸になり、
   神になった。
   残りは相変わらず神の子だった。
   神の子でも、
   死んだときは、
   遺骸を残さなかった。
   私たちは村がなくなるまで、
   旅を続けた。
   もう神はいない。

             「神輿」後半部分
15:45:22 | tansin | | TrackBacks
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