Archive for 14 July 2011

14 July

詩誌『tab』No.27




 震災で家の中に居場所を無くした。じっくりと物事を考える余裕を失った。生きるために、仕事以外のことが考えられない時期がしばらく続いた。そんな時に詩人長尾高弘氏から詩誌『tab』No.27が送られてきた。正直、しばらくは封を切る気持ちが起きなかった。ここにきてやっと読む気持ちが生まれてきた。震災で思い知ったのは、言葉で物事を考えることを人よりは少し多めに行っていると思ってい自分が、いざ追い詰められた状況下では自分の中の表出言葉の襞は皆無であったということである。これには、参った。
 詩誌『tab』No.27では、長尾高弘氏が「見えないもの」という作品を掲載している。福島の第一原子力発電所の放射の汚染という問題に対して、自分の言葉と感性で詩を書いています。見えないものが、放射能という見えない自然界には存在しない物質によって、フィルターをかけられたように見えてくるものがある。そんな差異を飄々と彼独特の語り口で書き連ねています。
 中段の部分を引用させていただきます。

        (前略)

   *
   むかし、
   「見えないものを見る」という詩があった。
   自分の感性によほど自信があった時代の産物だ。
   見えないものは見えない。
   が、
   それは機械で数字に置き換えられる。
   数字は解釈して意味に置き換えられる。
   問題は解釈が一つに定まらないことだ。
   テレビでは百ミリシーベルトまでは大丈夫だと言っているが、
   法律では年間一ミリシーベルトまで規制されている。
   百ミリシーベルトで大丈夫なら、
   家を捨てて避難しなくても済む。
   大した被害ではなかったように見える。
   補償額も抑えられる。
   大丈夫でなければ、
   がんになる確率が上がる。
   がんにならなくても、
   体に異常を覚えるかもしれない。
   今ただちにはわからないことだ。
   主語を除けば。

        (後略)

 次に、この詩の最終連を引用させていただく、この部分は主語を取り戻した作者の精神のありようが書かれていて好きだ。

        (前略)

   緊張感が今ほど薄れていない頃、
   外で鶯が鳴いているのが聞こえてきて、
   ふと我に返ったことがありました。
   あの日以来始めていたツイッターに、
   こんな春でも、裏山に鶯が来た。
   と、ツイートしました。
   俳句ってのはこんな気分でやるのかなあ、
   と思いました。
   正しいのかどうかよくわかりませんが。


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15:45:31 | tansin | No comments | TrackBacks