Archive for July 2011

23 July

仙台演劇研究会通信『ACT』Vol.348 2001年7月号




 まず初めに、仙台演劇研究会通信『ACT』は、震災の中でも発行を休みなく続けていた。その不屈の精神に敬意を表したい。当然ながら今号の『ACT』にも、震災の関係のエッセイや詩が掲載されている。最終ページ〈風のたより〉には、佐々木洋一氏が詩「いつものように ーーー2011年5月6日石巻市北上の被災地にて」を掲載している。震災に遭って詩人はどんな表現を行うのか、それは人それぞれだが佐々木氏の詩は、被災地に赴き、非日常的な出来事を目の前にして、自分が日常の中に生きていることの戸惑いを素直に表現している。無理に、震災のことを言葉にしようとしない姿勢が好きだ。最後の二連を紹介させていただく。


        (前略)

   うそぶいている海 どよめいている漣
   何かあったのだ 何かが騒いだのだ 何か後ろめたいのだ 何かが変わったのだ
   暗澹たる海 項垂れる漣
   
   いつものように
   いつものようにベンチに座り
   あの世の 雲雀の行方を追っている

               「いつものように」最終部分

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14 July

詩誌『tab』No.27




 震災で家の中に居場所を無くした。じっくりと物事を考える余裕を失った。生きるために、仕事以外のことが考えられない時期がしばらく続いた。そんな時に詩人長尾高弘氏から詩誌『tab』No.27が送られてきた。正直、しばらくは封を切る気持ちが起きなかった。ここにきてやっと読む気持ちが生まれてきた。震災で思い知ったのは、言葉で物事を考えることを人よりは少し多めに行っていると思ってい自分が、いざ追い詰められた状況下では自分の中の表出言葉の襞は皆無であったということである。これには、参った。
 詩誌『tab』No.27では、長尾高弘氏が「見えないもの」という作品を掲載している。福島の第一原子力発電所の放射の汚染という問題に対して、自分の言葉と感性で詩を書いています。見えないものが、放射能という見えない自然界には存在しない物質によって、フィルターをかけられたように見えてくるものがある。そんな差異を飄々と彼独特の語り口で書き連ねています。
 中段の部分を引用させていただきます。

        (前略)

   *
   むかし、
   「見えないものを見る」という詩があった。
   自分の感性によほど自信があった時代の産物だ。
   見えないものは見えない。
   が、
   それは機械で数字に置き換えられる。
   数字は解釈して意味に置き換えられる。
   問題は解釈が一つに定まらないことだ。
   テレビでは百ミリシーベルトまでは大丈夫だと言っているが、
   法律では年間一ミリシーベルトまで規制されている。
   百ミリシーベルトで大丈夫なら、
   家を捨てて避難しなくても済む。
   大した被害ではなかったように見える。
   補償額も抑えられる。
   大丈夫でなければ、
   がんになる確率が上がる。
   がんにならなくても、
   体に異常を覚えるかもしれない。
   今ただちにはわからないことだ。
   主語を除けば。

        (後略)

 次に、この詩の最終連を引用させていただく、この部分は主語を取り戻した作者の精神のありようが書かれていて好きだ。

        (前略)

   緊張感が今ほど薄れていない頃、
   外で鶯が鳴いているのが聞こえてきて、
   ふと我に返ったことがありました。
   あの日以来始めていたツイッターに、
   こんな春でも、裏山に鶯が来た。
   と、ツイートしました。
   俳句ってのはこんな気分でやるのかなあ、
   と思いました。
   正しいのかどうかよくわかりませんが。


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10 July

詩誌『霧笛』第2期 第20号





 震災で一月以上、家にまともに帰れない日々が続き、本棚が倒れ空中分解したような書籍やCDが山積みになったまま、整理できないでいた。今も、そういう状況に改善はさほど見られないのだが。それで、これまでに送られてきた詩誌や書籍が散乱していて、どこになにがあるのかわからない状況にあった。新しく送られてきたものは、いつも使っている机の上の決まった場所に重ねているのだが、それもどこに行ったのかわからなくなってしまっていた。家人が私の不在の間に段ボールにとりあえず押し込んでしまっていた。家を不在にしていた間に気仙沼から発行されている詩誌『霧笛』第2期第20号が送られてきていた。今日、やっと封を切って読ませていただいている。詩誌『霧笛』として通巻百号の記念号である。百号を記念して色んな方々が文章を寄稿している。恥ずかしながら小生の文章も含まれている。そういえば、千田さんから頼まれて書いた記憶が蘇ってきた。気仙沼は今回の震災で大きなダメージを受けた地域だ。同人の方々は無事だったのだろうか。この号の発行は平成23年2月28日だから、まだ震災の起きる前だ。皆、無事であることを願うばかりだ。

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詩誌『葦』第35号




 詩人であり写真家でもある茨城に住む武藤ゆかりさんから詩誌『葦』が送られてきた。その中で武藤ゆかり氏は「巨大地震遭遇記」という長編詩を掲載している。それは、彼女自身の体験と精神の揺らぎを、言葉という表現方法で淡々と記述している時事的作品に仕上がっている。まるで死者が憑依したイタコの口寄せのように語り言葉が延々と続く。震源地からかなり遠い茨城の地でもこんな怖い思いをしている人がいることに正直驚きを感じ得なかった。その言葉は、まるで死者や行方不明者をが多かった東北の沿岸部の被災者の思いを語っているように切実だ。自分は、今度の震災に逢い、その生活を一変させられた事態に対して、ただ自分という人間を名付けられた一人の社会的な存在として維持するだけで精一杯で、外に対して何かを表出しようという気にならなかった。沸いてくる言葉すらなかった。しかし、武藤ゆかり氏は、延々と記述する。震災の悲惨さを、恐怖に打ち震える魂を、身近で起きた非日常の出来事を、それは強い言葉への意思がなければできないことだと思う。自分にはできなかったことをこんなに鮮明に語り尽くすことに尊敬の念さえ抱いた。その記述の中で、自分が好きな部分を紹介させていただく、それは彼女の精神の奥深くに眠っている風景のようであるが、言葉に生命感が感じられ、好きな表現だ。

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09 July

寄稿誌『郡山の四季 風草』86号(終刊号)




 昭和56年から仙台の郡山から発行を続けてきた寄稿誌『郡山の四季 風草』が30周年記念号で終刊となった。雑誌を主宰している田中きわ子さんにとっては以前から決意していったことだったようだが、周囲の人々には驚きだったようだ。当然、自分も驚いた。『郡山の四季 風草』は、田中きわ子さんがほとんど一人で原稿を集め、その原稿の入力作業を行っている。30年で86号ということは、毎年約3冊を出していることになる。1冊のページ数が80ページを超える量の冊子を30年間も一人で出し続けたエネルギーに驚くとともに畏敬の念が生じてくる。最終号には回生にも寄稿いただいた伊藤豊蔵さんがお亡くなりになった詩人佐藤幸雄氏の思い出を「詩人・佐藤幸雄のこと」と題して寄稿している。それに「冬冬冬」と題した詩も載せている。

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