Archive for April 2015

26 April

詩誌『霧笛』第2期第33号



 今年(2015年)1月24日に詩誌『霧笛』の編集人千田基嗣氏に大河原までお越しいただいて、約1時間半お話をしていただいた。一応、テーマは、「気仙沼で詩を書き続けること、詩誌『霧笛』のこと」という設定ではあったが、話の内容等については、特にこちらからは特段、注文をつけるようなことはしなかった。私が大河原で続けている「無意味な意味の尾形亀之助読書会」は、何も尾形亀之助にこだわっているわけではない。

 千田氏の話の半分は、東日本大震災の日の千田氏の取った行動や、周りで起きていた出来事を事細かに時間を追って、記憶を辿ったものだった。正直、私にはそれは意外なことであった。もう一度確認すると、その話は気仙沼で「あの日」起きたことでなく、千田氏個人にあの日に起きた出来事ことを話した、ということなのだろうと思った。私は、千田氏特有の、物事に対して自分の位置をちょとずらして、客観的な距離を作り、傍観者のように、あるいは観察者のように語るその話には、好感を覚えた。言ってしまえば、ある一人の人間に起きた日常を淡々と語っただけの記録である。そこに、個人を超えた感情やら思想(想い)はなかった。
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14 April

詩誌『Eumenides III』第47号



 詩人金子忠政氏から事前の予告どおりに、彼の瀧口修造に関する評論を載せた詩誌『エウメニデス III』第47号が届きました。贈呈に感謝申し上げます。いただいておきながら、こんなことをかのは不遜なのですが、多分、私は金子氏の評論だけでは、金子氏が何故、今、瀧口修造にこだわるのか、解らなかったと思います。正直、人というものは、そういうもの、つまり過去に犯した自分の過ち、あるいは「はじらい」に対しての身の処し方、あるいは向かい合い方は、こうしなければならないというものはなく、単純に言えば、人それぞれの処し方があって良いことだと考えていました。だから、私が、瀧口修造のことを、今でも、尊敬する、いや私淑する詩人だと言ってはばからないことに、なんら金子氏の評論は影響を与えないと考えていました。そのこと(戦争翼賛を行ったことに対し沈黙し、さらにそのことに正面から向き合わなかったこと)をもってしても、私の瀧口修造への想いは変わらないと考えていました。


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00:48:50 | tansin | 2 comments | TrackBacks

06 April

季刊『ココア共和国』vol.17



 定期的に発行が続いている季刊『ココア共和国』vol.17 が届きました。いただいて、最初に読んだ金澤一志氏の作品「記号スクラブ」は、他人行儀な表現だなと思ってしまいました。多分、金澤氏は、自分の立つ位置が他所(よそ)にしっかりとあるのだろうと思いました。「他所」とは、詩の世界の外での思考ということです。発行者の秋亜綺羅氏の編集前記を読むと、金澤氏は、北園克園の研究家だそうです。そういうことが影響しているのだろうなと勝手に思ったりしています。よく研究者のように実証的に客観的な目で物事を見ようとする方々の書かれる実作は、”よそよそしい”ものが多かったりする、というのが私の経験則です。


 

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00:18:35 | tansin | No comments | TrackBacks

05 April

a's(あ’ず) 34号



 佐藤洋子さんの詩誌『a’s』34が届きました。それも二冊、感謝です。一冊は、佐藤洋子さんから、もう一冊は新田一文さんからです。色違いなので、どちらも大変れしいです。


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16:26:34 | tansin | No comments | TrackBacks